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今日は2025年4月24日(木) 
■ 2025年4月22日・《1118》「科学者マイケル・ポランニー」読了(その4) 3  0
兒玉信次郎とはべつの曽孫弟子の縁は,マイケル・ポランニーの科学研究のさいごの共同研究者である堀内寿郎から.堀内はマンチェスターから帰国後に北海道大学理学部の教授となり,学士院賞恩賜賞を受賞(1940年)して北大に触媒研究所(のちの触媒化学研究センター/触媒科学研究所)が設置された.その触媒研で指導うけたのが鍵谷勤で,北大を修了後に住友化学から京大工学部燃料化学科に助教授として着任(おそらく兒玉の推薦)し,1978年から第7講座の教授となった.その指導のもとに学位をとったから,やはり曽孫弟子となる.兒玉が工学部に理論物理学の荒木源太郎をむかえたことについて堀内が「えらいことをするなぁ」と言ったら,兒玉は「当たり前のことでしょう」とこたえて堀内をますます驚かせたとある(105ページ)
■ 2025年4月21日・《1117》新手の詐欺メール 3  0
ちょうど10年前の2015年に香港でISE(国際電気化学会)の大会があったときに,ホテル予約のフィッシングメールにひっかかって予約代金をクレジットカード払いしてしまい,その後気づいてクレジットカードを停止.ホテルに直接連絡して実際には予約がはいってないのを確認し,カード会社と交渉して返金をうけた...ことを思いださせるメールが届く(イメージ左).Van de Vlde Paris CDGなるホテルは実際に存在するが,そのホテルに確認するまでもなく,前科あり(イメージ左).Googleにはフィッシングメールであることを報告し,ブロック完了.しかし,実際に会議の参加者でないひとに対して送りつけてもしかたがないような...
■ 2025年4月20日・《1116》「科学者マイケル・ポランニー」読了(その3) 5  0
兒玉信次郎はポランニー研に留学して初日にあいさつに行ったとき,ポランニーに「おまえは量子化学を知っているか」ときかれて「飛び上がらんばかりに驚いた」(104ページ/大塚ら/1987・253ページより)という話は引用された本で読んだことがあったが,そもそもポランニーじしんは量子化学者ではなく実験化学者だったから,なぜそんなことを言ったのかがふしぎだった.ポランニーは,共同研究者で,のちにノーベル物理学賞を受賞するユージン=ウィグナーの博士論文の指導教員だったが,量子力学をもちいて化学反応を解析するためには分子のエネルギーや角運動量にある程度の誤差が許されるべきという内容の博士論文ついて,ポランニーは日記で「ウィグナーの数学にはついていけない」と(114ページ).これが兒玉への発言の伏線か.
■ 2025年4月19日・《1115》ホイールパッド 1  0
Panasonicのパソコン「Let's note」のおおくの機種についている「ホイールパッド」.画面のスクロールをするのに円形のパッドでゆびを円周をなぞるようにぐるぐるまわす(ことばで表現するのはむずかしい...)のはいちどつかうとやめられない.自宅とワークスペースでつかっている2台のLet's noteはどちらもホイールパッドで快適なのだが,なぜかワークスペースの方が,ときどきホイールパッドの応答がなくなってしまう.USBのマウスがあれば復旧可能だが,なければ電源スイッチで再起動するしかない.ググってみると,タスクマネージャで関連アプリの優先度をあげるというのがあって,現在処置後1週間.いまのところはだいじょうぶだが...こんな記事を書くと再発するかもしれない.
■ 2025年4月18日・《1114》「科学者マイケル・ポランニー」読了(その2) 1  0
マイケル=ポランニーにはなにかの縁があるように感じる.おおげさにいえば,二重の意味で曽孫弟子にあたるからか.学部生と修士課程の指導教員は,当時福井謙一研究室の助教授だった清水剛夫先生.喜多源逸教授が中心となって開設された京都大学工学部燃料化学科.その第二講座のさいしょの教授が兒玉信次郎で,1956年に住友化学にもどったあとに,第二講座の講師となったのが清水先生で,年に何回かは兒玉先生に研究報告をされていた.その兒玉信次郎は,住友化学に入社する前にカイザーウィルヘルム研究所のポランニー研に滞在して薫陶をうけた.その意味で,曽孫弟子.おなじく兒玉教授に大学院生のときに見いだされ,第二講座の三代め教授となったノーベル化学賞受賞者の福井謙一先生はポランニーに孫弟子.
■ 2025年4月17日・《1113》春きたる 1  0
月曜日からチタニア粉末50サンプルをRDB-PAS(逆二重励起光音響分光法)で再測定中.1日で4サンプルくらいしか測定できないので,きのうから朝食をとらずにワークスペースへ出勤して,測定のあいまに朝食をとることに.きのうはくもりだったのでわからなかったが,きょうワークスペースにはいってみると朝日がさしていた.いよいよ春がきたという合図.鉢植えもきょうから昼間はバルコニーにだすことに.ちなみに,エアコンの冷房運転は月曜日から.
■ 2025年4月16日・《1112》「科学者マイケル・ポランニー」読了 3  0
マイケル=ポランニー(1891−1976)は知るひとぞ知る科学者.晩年に化学から哲学に研究対象をかえたため,すくなくとも3つの業績でノーベル化学賞をのがしたといわれている(子息のジョン=ポランニーはノーベル化学賞(1986)受賞).日本では,化学と哲学のいずれかに焦点をあてた本が出版されているが,この本(中島秀人「科学者マイケル・ポランニー 暗黙知の次元を超えて」河出書房新社/2023)では,科学技術史研究者としての著者が,科学研究の面に重心をおきつつ,その背景と哲学研究にいたった経緯を解説.中島秀人氏は,おなじ1956年うまれで,2022年3月に大学を定年退職.註にじぶんの実験の失敗談が紹介されるなど,なにか「ちかしさ」を感じる.
■ 2025年4月15日・《1111》1111 4  0
きょうは定年退職後にスタートした第二の人生の1111日め.ということで思いだしたのは,阪急電鉄のかつての1100系の車両番号「1111」の先頭車両.高校生だったころは,この車両を先頭(たぶん神戸方向の先頭)編成が神戸線を普通電車としてはしっていた.このころの阪急電鉄の車両は屋根の白塗装もなく,ぜんぶ「マルーン」だった.運よくこの「1111」を見ると幸運だと信じていて,大学の入試合格発表をみにいくときも,塚口駅で遭遇し,合格の予感がした.マニアの解説によれば,伊丹線,箕面線をはしってその後廃車とある.イメージは,こちらから.このサイトの上の写真の「稲野」駅はまさに実家のもより駅.
■ 2025年4月14日・《1110》Scholar GPS 1  0
Scholar GPSなるところからメールがきて,「あなたは生涯業績でランキング上位にはいっている」と.「Titanium oxide」で2位(10位まではほとんど日本人),「Photocatalysis」で10位(こちらはBahnemannが1位)とか.ただ,分野がなぜ「Life science」なのかは不明.そもそもそのランキングなるものがどうやってつくられているのかは不明(論文や学会発表などをもとにしているとはしているが...).
■ 2025年4月13日・《1109》「水車小屋のネネ」読了 10  0
津村記久子「水車小屋のネネ」(毎日新聞出版/2023)読了.単行本として刊行されているのは知っていたが,売れているようなので手ごろな価格で中古本がでるのをまっていた.届いた本をひらき,ひさしぶりに1冊の本を一字一句すべて追って,約4時間ずつ2日にわけて一気に読んだ.毎日新聞の連載小説だったときに,ほぼすべての回を読んでいたが.通して読むと,新聞でこまぎれに読むのはとはひと味ちがった感慨.すべての物語の発端は,そば屋をはじめた「おじいちゃん」がヨウムの「ネネ」を水車小屋でのそば粉ひきの番をさせたことで,その娘の浪子と娘婿の守がおじいちゃんが亡くなったあとそのそば屋をつぎ,水車小屋でのそばひき番としてのネネの世話と店の手伝いとして,主人公のひとりである理佐を採用するところからはじまる.1981年から10年ごとの第1〜4話とエピローグ.読み終わって,すぐにもういちど読みかえしたいとおもう本はそんなにはない.
■ 2025年4月12日・《1108》Ringgold 1  0
Royal Society of Chemistry(王立化学会/RSC)の雑誌に投稿するときには,すべての著者について所属を入力するのだが,そのときにCopyright Confirmation Centerが提供する「Ringgold ID」の入力が必要.大学在職時にはすでに登録されていたから候補のリストからえらべばよかったが,「特定非営利活動法人touche NPO」として登録しようとすると,「そんな機関は登録されていません」ということになる.しかたないので,「Hokkaido University」として登録して,「division/department」を「Nonprofit Organization touche NPO」としておき,べつにRinggold IDの取得を申請.意外にも簡単に登録できたが,申請時に入力したおぼえのない「Tokutei Hieiri Katsudo Hojin touche NPO」となっていた...そんなものか.《登録はされたが利用できるようになるには2週間ほどかかると...なぜ》
■ 2025年4月11日・《1107》吸着一酸化炭素のIR 1  0
すこし時間があったのでワークスペースの本棚の本をいくつかとりだしてパラパラ読み.そのうちのひとつが,L. H. Little「吸着と赤外吸収スペクトル」(化学同人/1971).ちゃんと「鍵谷研究室蔵書」としてあるので,北大に異動するときに拝借してきたものらしい(申しわけありません).目次をみると「表面の不均一性の評価」の項目が.逆二重励起光音響分光法により粒子形状の不均一性が投稿中の論文の議論の前提なので,本文をよんでみると,表面に吸着されたッ酸化炭素(CO)の赤外吸収の端数が一定しないことから不均一性がわかると.ひょっとしてそれが結晶面のちがいだとすると...ということで「ceria CO IR spectra」で検索したら,COを吸着した酸化セリウム(IV)の赤外吸収の波数から,露出結晶面を評価する研究の論文がヒット.なんと!
■ 2025年4月10日・《1106》「触媒」誌の記事3つ 5  0
きょうの論文のうち3つが触媒学会発行の機関誌である「触媒」の記事で,そのうち2つは「会員の声」欄のもの.ひとつは「光触媒反応における『律速段階』と『L-H機構』という用語の誤用の指摘」,もうひとつは,「『学会の現地開催』礼賛のうごき」に対する反論.どちらもとても多くの共感は得られそうににない記事.では,のこりの解説記事はというと...光触媒反応をすべてバンド構造モデルで説明しようとする研究動向が,クーンがいうところの通常科学における「(こたえがあることがわかっている)パズル解き」にすぎないことを暗に(明記しているともいえるが)批判したもの.さいごの部分を読むと,2014年の時点で,逆二重励起光音響分光法で電子トラップ密度のエネルギー分布が解析できそう,というところまできていたことがわかる.
■ 2025年4月9日・《1105》29年まえに札幌へ 2  0
29年まえの1996年に京都から札幌へ転居.3月いっぱいは日本化学会春季年会で東京で,そこから札幌へ行って,4月1日に事例交付.すでに発送していた研究室関連の荷物の受けとりや,マンションの鍵のうけとり,電話の開設などをすませて京都へもどり,自宅の引越準備をして,4日にふたたび札幌へ.そこからは北大理学部での生活に突入するも,4月18日から京都にもどって研究室の機器の移転について交渉し,扱いのていねいさで評判のたかかった善信社(従業員がクリスチャン)という運送会社での運送を手配.25日にうけとって(理学部本館うらのスペースにトラックをとめてもらった記憶が)無事移転完了.その間,「さきがけ」研究の申請書に忙殺されていたもよう.《とおいむかしのような気がする.「さきがけ」はその後もなんどか挑戦したが結局採択されることはなかった》
■ 2025年4月8日・《1104》Research GateからLINE 1  0
Research Gateという一種のSNSでは,論文PDFファイルの送付依頼,つまりかつては「別刷り請求はがき」でのリクエストに郵送で別刷り(リプリント)を送付していたのが,オンライン化したともいえる.基本的には,依頼があったら対応することにしていた.先日,陳愛林(Ailin Chen)なるひとから,論文PDFファイルの依頼があり,対応したら,内容について聞きたいので電子メールかLINEのIDをしらせてほしいと.電子メールアドレスをしらせたら,「LINEの方が簡単なのでぜひ」と.あやしいと思いながらLINE IDをおしえたら,肝心の論文の内容と関係ない話だけなので,LINEはブロック.しらべたら,この手の詐欺は多いようで(イメージ),こんどは「芳子 藤田」からおなじような依頼が...
■ 2025年4月7日・《1103》2020年度スタートのころ 1  0
2020年度はコロナ禍ではじまり,コロナ禍のままおわった.4月にスタートして,講義室での講義はもちろん中止で,どうするのかは未定のまま.前の年度からきていたタイからの留学生は,タイ政府の「国外からは受け入れない」という措置がはじまって,羽田空港まで行くも帰国できず.6月までの出張はすべてキャンセル(この時点では秋くらいまでのことかと思っていた...).「自宅研究活動」ということになって,ミーティングもずべてオンライン.結局,5月6日の連休あけまでは,基本的に自宅で.連休あけからすべてオンライン(+YouTubeでの公開)でようやく開始.いまから思えば,結果的には,Zoomなどのオンラインミーティングの可能性を見いだしたともいえるが,当時はそんな余裕はなかった.
■ 2025年4月6日・《1102》粘土細工 5  0
セリア(ceria=酸化セリウム(IV))の粒子形状に関する論文を投稿中.そのなかで引用した文献「T. X. T. Sayle, S. C. Parker and D. C. Sayle, Chem. Commun., 2004, 2438.」中の図(イメージ左)にある(b)のいちばん上のものが「{110}面のみが露出した粒子」という説明があるのだが,どうにも想像ができず,紙に描いてみてもわからない.以前ワークスペースにエアコンをつけたときに,配管のすきまをふせぐために粘土(製品の名称としては「パテ」)をもらっていたのを思いだし,何十年かぶりに粘土細工.左上の正方形にみえたのは正三角形を2つつないだひし形であった.ついでに{111}の正三角形8つからなる正八面体をつくってみたら,z軸まわりに45度回転させると,すべて{110}面になることも発覚.こんなこと立体図形を描くアプリケーションがあってもわからないかと...《ついでにいうとひし形と正方形の十二面体は{110}の正八面体の4つの頂点を「shave」したものであった[のこりの2つの頂点を「shave」すると{100}になってしまう]》
■ 2025年4月5日・《1101》朝日射す 1  0
気がつかないうちに,ワークスペースに日が射す季節に.昨年(イメージ右)とおなじように,ことし(イメージ左)も朝の6時台に東側のバルコニーの窓から朝日がさしていた.ウェブカメラはおよそ1時間ごとに撮影されるが,1日分24枚のうちで,もっともファイルサイズが大きいものだけを「その日」の分として保存するようになっているので,朝日が射した初日がいつなのかは不明だが,窓辺においてあるパキラにあたらしい葉がでてきた3月半ばくらいではないかと推察.いきものは正直だねぇ.
■ 2025年4月4日・《1100》立花隆「立花隆の最終講義」読了 1  0
新書1冊をよむのに3か月以上かかったのは,昼食時にちかくの店にもっていって,注文したものがくるまでと食後にコービーをのみながら読むだけだったから.最終講義の講義録というよりは,録音された最終講義の内容にそって書き下ろしたものだから,その意味でとても読みやすい.ページの端をおった(端折った)ところはたくさんあるが,印象にのこったのは,ヴィーコの「真理とはつくったもののことである(Verum ipsum factum.)」を「『なんでも作ってみなければ分からない』ということなんです」としたところ(192ページ/ちょっとちがうような気もするが...).もう一か所は,「それ(デカルト座標)に比べたら『我思う,ゆえに我あり』のデカルト哲学などクズみたいなものです」(38ページ).これだけ言い切れたらいいなぁ.
■ 2025年4月3日・《1099》Chat GPT 1  0
とある論文の考察で,正多面体(regular polyhedron=すべてがおなじ正多角形)と半正多面体(semi-regular polyhedron=2種以上の正多角形で構成)がでてきて,その「稜」と「頂点」について説明する必要がでてきて,対応する英語を「ridge」と「peak」としていたが,共著者からちがうんじゃないかとのご意見.そこでChat GPTにおたずねしてみたら,「『edges』と『vertices』である」との明確なご回答.ちゃんと「edge」と「ridge」のちがいについてもご説明.ただ,「vertices」が「vertex」の複数形であることを明記していただいたら完璧だったが...
■ 2025年4月2日・《1098》ポパー「推測と反駁」 2  0
北大の北図書館から借りだしたカール=ポパー「推測と反駁」の返却期限がちかづいてきた.訳者あとがきもふくめて775ページもある大部を読み切ることはむずかしい.さいしょから読んでみると,うすく鉛筆で線をひいたところがある.さいしょは「序章」の「われわれの欠如している尺度,客観的真理という概念を含んでいることを認識することにある」(26ページ).当然ながら,有名な「ある理論に科学的身分を与えうるか否かの判定基準は,その反証可能性,反駁可能性,ないしテスト可能性である,ということができる」(64ページ)にも傍線.ページをめくっていくと,314ページのカントに関する記述のところがさいごの傍線(つまりすべてのページをめくって確認).じぶんで傍線をひくなら(してないけど),「専門主義となってこの世界の謎を見ることをやめ,それに驚くことをやめる―とき,すべての魅力がなくなってしまう.専門化は科学者にとって大きな誘惑であろう.哲学者にとっては,それは魂を滅ぼす罪である」(222ページ)かな.返却するときには自伝の「果てしなき探求」を借り出すことにした.《北大図書館で蔵書検索すると「推測と反駁」も「果てしなき探求」もそれぞれ1冊が1週間ほどまえから貸出中.おなじようにポパーをしらべているひとがいるもよう》
■ 2025年4月1日・《1097》髙島舞博士が東京理科大に着任! 15  0
大谷研究室のさいごのスタッフの髙島舞助教は,2022年4月に5年の任期で名古屋大学大学院工学研究科に異動.そして,本日,東京理科大学工学部工業化学科(葛飾キャンパス)に講師として異動し,独立研究室で活動開始.これで,大谷研究室に在籍したすべてのスタッフが独立研究室をもったことに.おめでとう,そしてありがとう! イメージは左から,北大触媒研の大谷研着任の日(2015年10月1日)/大谷研さいごの日(2022年3月23日)/名古屋大学に納入(貸出し)されたRDB-PAS測定装置のまえで(2024年12月)/ラボ案内表示/独立研究室!.《これはエプリルフールの記事ではありません》
■ 2025年4月1日・《1097》エプリルフールねた 800  0
大谷研究室クロニクルで2005年4月1日からはじまった「エプリルフールねた」掲載20周年を記念して,「ひっかかったチャンピオンねた」の投票を実施しています.応募サイトから,これまでの33報の「エプリルフールねた」のうちで,「これにはひっかかった!」というものをえらんで(複数回答可)[回答ボタン]をクリックするだけ.回答していただいた方には,「学会運営エンジンmeddle」上で運営される学会(学術集会)で共通して使用できるクロスオーバークーポン(800円相当)をさしあげます.なお,クーポンを電子メールでお送りするため,電子メールアドレスの登録が必要です.応募サイトはこちら.期限は2025年4月30日までですのでお早めに! なお,気にいった「エプリルフールねた」に『!』をつけてください(複数クリック可).
■ 2025年4月1日・《1097》電子トラップ関連論文が800報超に 15  0
逆二重励起光音響分光法(RDB-PAS)による電子トラップ密度のエネルギー分布測定による結果をふくむ原著論文(共著者となっていない[=測定の謝辞があるもの]ものもふくむ)が800報ごえ.さいしょにRDB-PASの原理を発表した「Nitta, A.; Takase, M.; Takashima, M.; Murakami, N.; Ohtani, B. A Fingerprint of Metal-oxide Powders: Energy-resolved Distribution of Electron Traps. Chem. Commun. 2016, 52, 12096-12099. [10.1039/C6CC04999K]」(2016年9月7日出版)からはじまって,およそ9年.さいきんは,「いつの間にか出版されていた」ことがあるので実際にはもうすこしおおいかも.このペースでいくと,2030年には2,000報超も必至.くわしくはこちら
■ 2025年3月31日・《1096》年度最終日 1  0
助手時代の1992年からのこっている業務日誌(当初はシステム手帳に万年筆で記入=のちにディジタル化)をながめていると3月31日はほぼ毎年学会に出席.2014年までで学会出張がなかったのは,1994,1997,2006年だけ.1990年代はほとんど日本化学会春季年会.印象にのこっているのは,日本大学で開催されたときの桜上水の桜並木.その後は,電気化学会(かつては電気化学協会)大会と触媒討論会.2015年と2016年は業務日誌が消失しているので不明だが,それ以降はコロナ禍もあって出席なし.もちろん定年退職の2022年以降はことしもふくめて出張なしの年度最終日.大学在職中はそんなことはかんがえなかったが,いまは「ことしもNPOを無事に運営できた」というありがたみを感じる.
■ 2025年3月30日・《1095》RDB-PAS測定装置 1  0
いまから3年まえのきょう,逆二重励起光音響分光法(RDB-PAS)測定装置5台を研究室から特定非営利活動法人touche NPO事務所として使用すべく賃貸を開始したマンションの一室に搬出.本来は,国立大学の財産である備品は大学や研究所などの非営利の研究機関にしか移転できないので,NPO設立前には移動できないのだが,後づけで認めてもらったという経緯.いまからかんがえれば,RDB-PAS測定の真価ともいえるERDT(電子トラップ密度のエネルギー分布)のピーク分離による解析ができるようになったのは,思いきって移転し,3年間で数百のサンプル測定をおこなった結果といえる.ありがたい話.イメージは左から,2021年当時の装置群/2022年3月の搬出時のようす/現在の装置群(SP1は名古屋大学に貸出/SP2は調整中)
■ 2025年3月29日・《1094》退職まえの日々 1  0
2022年3月18日のオンラインでの最終講義以降の約2週間は怒濤の日々.研究室の居室と実験室をほぼぜんぶ「からっぽ」にするために,廃薬品類や廃棄物品を多額の費用をかけて処分するとともに,RDB-PAS測定装置のNPOのワークスペースへの移転や窓ガラスや床のそうじ,教授室のタイルカーペットのはりかえなどなど.ようやくさいごの31日になってひといきついて動画撮影でしめくくり.1998年に教授になって研究室をもったときは,こんな日がくるとは想像もしていなかった.
■ 2025年3月28日・《1093》50年まえの年度末 1  0
50年前は1975年.高校3年生のさいごのひと月はどうすごしていたのか.業務日誌(京大式カードにかいていたものをディジタル化したもの)をみると,合格発表以降なんとものんびりした日々をすごしていたもよう.いきつけだった西宮市の甲東園や甲子園の喫茶店にあいさつしたり,母校をたずねてみたり,おさななじみに電報をうってみたり.後半は下宿さがし(当時は学生のすまいといえば下宿,つまり家主の家の「部屋」を借りる).けっこう苦労している.3月29日に室町一条(大学からは歩いていける距離ではない)の下宿を契約しているが,4月にはいってから関田町(せきでんちょう=加茂大橋と百万遍のちょうどまん中あたり)の旧西園寺邸西の下宿に変更し,ここで結婚までのおよそ6年間をすごすことになる.
■ 2025年3月27日・《1092》Chemistry Letters 2  0
きょうの論文6つのうち,前半の3つは1980年代の京大時代のもので,なんとすべて日本化学会発行の「Chemistry Letters(Chem. Lett.)」に掲載.この時代は原稿はいわゆる「タイプ+打ち」のものがそのまま論文になった.図面はもちろん「ロットリング」で描いたものをはりつけ.なにかの賞の応募書類には「印刷中のものも含めて337報(すべて査読つき)・これらのうち,速報誌(Chemistry Letters)掲載は30報,和文誌(日本化学会誌)掲載は1報(欧文誌なし・日本化学会の論文誌への掲載は全原著論文の9.5%)」とある.1980年代から,JACSやChemical Communications(Chem. Commun.)にリジェクトされてさいごに投稿することがほとんど.その意味では,発表の機会をあたえてくれるChem. Lett.は貴重な存在といえる.イメージは左から,SCH1985の1ページめ/WOF1988の2ページめ.
■ 2025年3月26日・《1091》会告 1  0
学会運営エンジンmeddleで運営予定の夏の学術集会(学会)のうちあわせで,「うちの学生が,学会の『会告』のボタンが画面の下の方にあるので見つけられなかった」と.たしかに...ただ,ウェブページにアクセスする目的はひとつとはかぎらない.発表申込の期間に「会告」を上部に大きく配置すると,それ以外の目的,たとえばすでに申しこんだ発表の内容の確認とか,要旨のテンプレートをさがすためにアクセスするひとには迷惑.アンケートをふくめて「わかりにくい」という意見は,「ある目的のためにアクセスしたときに該当のものがすぐに見つからなかった」ということだから,多数の目的にすべてあわせるのは不可能...ということで,今回は「会告」を「サマリー」に変更して,上部のメッセージボックスに表示(イメージはシミュレーション=現在表示中の学会がないため).《「もうわかってる」というひとのために「非表示」ボタンも配置予定》
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