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2005
8
13
bunsho
LB法でのAFMサンプルの調製とAFMのトレーニング
AFMサンプル作製の手段としてLB膜製膜装置を用いて調製したサンプルの形状観察を行い、さらにAFM操作の向上を目的とした。メタノールでの二回洗浄及び三回洗浄を行ったサンプルのπ−A曲線における表面圧は大きく異なった。
2011
5
29
ProfSoAndSo
ついにというか,ようやくというか
ブログをはじめました.Twitterではみじかすぎるし,ウェブページではどうもって感じですかね.いったいどんなことになるやら...でいきなり冒頭の「ブログ」と書くべきところを,「ブルグ」と入力(パン屋か)したけど,ツイッターとちがって修正できるのがよろしい.
2011
6
6
ProfSoAndSo
なにも始めないダイエット(1): 15キログラムの減量!
ダイエットというのは,もともとは食餌療法のダイエットコントロールからきているが,いまは「減量」という意味でつかわれているようである.これは日本だけでなくて,広告なんかを見ているとアメリカでもそうである.わたしは,2007年4月に82キログラムあった体重を約1年で15キログラムくらい減らした.どうやって減らしたの,と問われると,「自動車通勤をやめた」と答えることにしているが,それは単にめんどくさいからそう言っているだけである.減量しているときにいろいろなことに気づいたが,うまく行った理由をひとことで言えば「なにも始めなかった」になる.これからなんどかにわけて,この「なにも始めないダイエット」について書いてみる.
2011
6
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ProfSoAndSo
なにも始めないダイエット(2): 記録しただけではやせない
レコーディングダイエット−「いつデブ」のメインになっているレコーディングダイエット.つけることはいろいろあるが基本になるのは体重の記録.しかし体重をつけただけではやせない.「いつデブ」でもこれでやせるとはいってない.まずだいじなことは「ほんとうのじぶんの体重」を知ること.記録しないでいるとじつはほんとうの体重はわからない.じぶんの経験から言えば,頭にのこるのは少なめの体重だけである.それをほんとうの体重だと信じようとする.それより多いと「昨晩は食べすぎたから」とか「いま着ているセーターは重いから」とか.ある日のほんとうのじぶんの体重,というのはおそらく時々刻々と体重を測りつづけてその1日の平均をとるということだろうが,そういうわけにもいかないので,その日のある時点での体重を測定して記録する定時観測というやつである.それはいつなのか,というと起床してトイレに行って小用をたした直後.これがいちばん.寝ているあいだというのはぼうこうに多量の尿がためられるようになっているそうで,起きているあいだならとてもがまんできないような量でも貯蔵されている.起きてすぐ体重をはかり,トイレに行ってからもう一度はかると,1キログラム以上も減っていることもある.ということで朝起きてトイレに行って体重を測定.
2011
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なにも始めないダイエット(3): 体脂肪率なんて
「いつデブ」では体脂肪率も記録しているが,体重だけでじゅうぶん.体脂肪率,なかには内臓脂肪をはかれるものも市販されているが,体重とちがって定義がはっきりとせず,またそのために補正,つまり装置にしめされる値が正しいのかどうかをしらべることができない.こういうものはめやすにすぎない.だいたい,体脂肪率なんてものを測らなくても,鏡でじぶんのすがたを見たり,おなかの皮をつまんでみたり,あるいはベルトをしめてみればはっきりわかる.うちの体重計も自動的に体脂肪率を表示するが,おそらく両足のうらのあいだの電気抵抗をはかっているようで風呂に入る前後で数%変化するし(体重70kgで3%ちがえば2キログラムのちがいである.風呂に入るだけでこれだけへれば,だれも苦労はしない).朝起きてトイレに行くだけでも変化する.なので体脂肪率は記録しない.おそらく1年とか2年とかの長いレンジで見れば変化はわかると思うが...
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2011
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6
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なにも始めないダイエット(4): ただしい体重のはかり方
当然ではあるが,体重計にのるときはすっ裸でないといけない.正確にはかるため,ではなく,いいわけをつくれないようにするためである.「あの日はいていたパンツは1キログラムくらいはずだ」とか「あのとき巻いていたバスタオルはずいぶんしっかりしていたから,1.5キログラムくらいはあっただろう」というような『もうそう』をもたないように,である.ちなみにわたしの場合,めがねがないと表示が読めないのでかけたままである.ということで,「朝起きてトイレにいってから」はかった体重を2007年1月からつけはじめた.生活は何も変えずにただつけただけ.3月おわり(約90日)までの変化を見れば一目瞭然.体重を記録するだけでは何もおこらない.いや,正確に言えば,少しずつ増えている.科学の実験や観測では得られたデータを何らかの関数(数式)にあてはめて分析することが多いが体重の増減にはこれ,という理論式はない.かりにあてはめた式をつかうと,2007年末には○○キログラムになると予想される.どこかで一定になる(飽和する)のか増えつづけるのかを判断する根拠はないが,3月までのデータを見て,この先へるだろうと予測することはない.つまり体重を記録するだけではダメなのである.3月おわりから4月はじめにかけては学会シーズンのため,出張が多い.出張中は体重チェックできないことに加え,食べすぎ(カロリーオーバー)になる可能性が高いので要注意である.出張先で体重をチェックするには,相当高いホテル(2008年夏にサミットが開催されたザ・ウィンザー洞爺にはあった=ディスカウント料金で泊まったが)か,大浴場があるホテルに泊まる必要がある.ただし後者の場合,すっ裸ではかるにはすこし抵抗があるが.
2011
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なにも始めないダイエット(5): 歩く
歩くのが基本である.札幌で冬に歩くのはたいへんだが,雪の問題は別(だれだって少しは雪や氷の上を歩かないといけないから『いい靴』をもつのは当然).問題は汗をかくこと.地元の人は汗がふきだしそうな状況では「暑い」そうだが汗は出ないらしい.真冬は氷点下なので薄着はできない.もっと寒いときには体温を維持するためにエネルギー消費は大きいはずである.歩きはじめて10分くらいで汗がでてくると同時に,体が軽く感じられる.これくらいが「歩く」ということ.
2011
6
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なにも始めないダイエット(6): へったらすごいのか
「いつデブ」では50kg減量してウェストが半分になったそうだが,ある意味当然のことである.むしろ,50kg減量できたことではなく,50kg減量するほどよけいな体重をつけていたことが驚くべきことである.どうしたらそんなにデブになれるのか,ということにビックリするべきである.逆に言えば,よけいな体重はもともと必要ないわけである.体重70kgの人が50kg減量するのはほとんど不可能.どこまで減らせるのか─成長がおわったとき,つまり20才ころの体重(身体学的にいつ成長がとまることになっているかは知らないが).社会人になってからの健診で「おぼえている体重」ということだろうか.これを基準体重とすると「いつデブ」の岡田氏の基準体重はいったい何kgだったのだろうか.BMI=(体重=W/kg)/(身長=H/m)^2.(W=a密度(一定)H2と過程するとW/H2=a<かなりあらっぽい>)骨とか血液などの液体量などは身長の3乗といってもいいが,たとえば脳などの臓器の重さは身長に無関係(ゼロ重)結果的に2乗あたりになっているということか.科学的には「ぴったり2乗である」ことを支持する結果はない.
2011
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なにも始めないダイエット(7): 歩けばやせるか
2007年4月から通勤にクルマをやめた.6月くらいまでは,バスを利用していた.往復で400円.1ヵ月20日間として8,000円である.といっても自宅から最寄りのバス停までおよそ10分.バス停から研究室まで5分.停留所は6つで所要時間はだいたい10分.バス停でも待ち時間を入れるとだいたい30分となる.歩く時間は往復で約30分.間食をこの時点ではなるべく控える程度でとくに食事の量をへらしているわけではない.しかし,体重は劇的にへった.4月のひと月でおよそ3キログラム,5月末までのふた月で5キログラム.グラフでは,まさしく4月1日から絶壁を落ちるように体重がへった.じつは,この2か月くらいはグラフにしていなかったので,こんなにはげしい変化とは知らなかった.ただ「へってるなあ」と思っていただけである.その時点では,ただ「クルマをやめて歩いたからやせたんだ」と思っていたが,あとで考えれば,ある意味フツーのことであった.1日で30分歩く時間がふえるということは,およそ3,300歩分である(だいたい1分間で80m.1歩が70センチメートルくらいなので).今もっているデジタル歩数計によると,体重が70キログラムなら,およそ120キロカロリーに相当するらしい.カロリー計算でいけば120 kcalというのはパン1枚,おにぎり(小)1個にすぎない.たいしたことないじゃないかと思うが,毎日毎日,パン1枚,おにぎり1個分ずつダイエットコントロールしているのと同じである.そう,すこしでも歩けばやせるのである...食べる量が同じなら.食べる量を増やさなければ,という仮定のもとでは,たった30分でもよけいに歩けば体重が減るのはあたり前,ということになる.
2011
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なにも始めないダイエット(8): 空腹感
歩けばやせる.だけど歩けばおなかがすいて,その分食べるのではないか.そのとおり.歩けばおなかはすく.歩きはじめてか3か月くらいはバスを利用していたのでそれほど空腹感を感じたわけではない(記憶にはない).あるときバスの時間が合わなくて(朝は10分に1本くらいあるが,夜は8時をすぎると30分に1本くらいしかない)歩いてみた.所要時間は35分.バスを利用すると30分だから,5分節約するために200円費やしたことになる.そう考えるとバスに乗るのがばからしくなってきた.その上バスだとちゃんと何時何分のに乗らなくちゃと思うが,ぜんぶ歩きならそんなストレスもない.ということですくなくとも朝は歩くことになった.そうすると空腹感をおぼえるようになった.研究室につくと何となく「おなかがすいた」感じ.午前中デスクワークだとひんぱんに壁の時計を見ては,「お昼ごはんいつたべようか」.だいたい6時ころには起きて,7時ころには朝ごはんを食べる.メニューは,パンかシリアル(玄米フレークとグラノーラ)とコーヒー.ヨーグルトがつくこともある.なぜだか起きて1時間以内に朝食をとると,おなかがゆるくなることがあるので1時間は待つというのがむかしからの習慣だが,おなかがすいたから,というわけではなく,そろそろ食べて出勤しないとという感じだったのが,歩き出してからは,1時間「まつ」ようになった.おなかがすくからである.だから昼食まで軽く5時間あくことになり,さらに歩けば昼食がまちどおしい,という具合.夜,うちに帰るのは8時ころ.もちろんおなかはすいている.大学教員の本業である講義.わたしのいる大学では90分で1コマ.ただしゃべっているだけ(ProfessorのProfesというものはもともと「ひとりごとをいう」という意味だとか)だが,気合いがはいるとけっこうつかれる.夕方の5コマめ(第5校時)は4時半から6時まで,これをやるとけっこうつかれて,おなかがすく.研究室に戻ればカップラーメンでもすすりたいところだが,たいてい別の用事があって,ビスケットをつまむか野菜ジュースを飲むくらい.「帰ったらめしだ」と心に念じて1日のさいごの仕事をかたづける.ということで歩いていると結局のところ食後の直後をのぞいては1日中おなかがすいているということになる.それみろ,やっぱりおなかはすくじゃやないか.そのとおり,歩けばおなかはすく,だけどそういうあなた,この前「すごい空腹感」をおぼえたのはいつですか.いまのわたしなら即答できます.この前の食事の前.つまり,こういうこと.あるきはじめてわかったのは,「歩いたらおなかがすく」ではなくて,「歩いたら,空腹を感じることができた」.よく考えればながいあいだ(おそらく10年くらい)ほとんど日常生活のなかで感じることがなかった,ほんとうの「おなかがすいた」という感触がよみがえった.ということである.こどものころ,「どうしておなかがすくのかな〜おなかとせなかがくっつくぞ」といううたをうたった.こんな空腹感なんてさいきん感じたことはなかった.歩くことがおもいださせてくれた,というわけ.
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2011
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なにも始めないダイエット(9): 満腹感
さて,ほんとうの空腹感を忘れていたわたしでしたがどうやって食事をしていたかというと,時間がきていたから食べていたか,「朝食をのぞくと,ちかい将来空腹になるかもしれない」ので食べていたかのどちらかである.「そろそろ出勤だからその前に」朝ごはん.「おひるになったから」昼ごはん.「昼を食べてから5時間もたったから」カップ麺を食べ.「もう夜の8時もすぎたから」晩ごはん.「このままじゃおなかがすいて寝られないかもしれないので,夜食というぐあい.空腹感とはあまり関係がなかったことに気づく.そうやって食べたらどうなるのか.いまからむかしのことを考えると「こりゃ食べすぎだ」という感覚しかおもいだせない.「いつデブ」でも指摘されているが,住々にして人間の感覚は満腹を通りすぎるのである.はやく食べる人は,満腹感が脳に伝わらないうちに食べてしまうのでたべすぎる,という話をきいたことがある.(ほんとうかどうかはしらない).歩き始めて空腹感を感じることができるようになったわたしはながいあいだわすれていた満腹感を感じるようになった.そう,「食べすぎた」ではなく,「もういらん」(関西弁で「はいらない」という意味.「排卵」ではない」でもなく,「ちょっとベルトゆるめさせてもらうわ」でもなく「おなかいっぱい」.「でも食べようと思ったらまだはいるけど」という感じである.
2011
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なにも始めないダイエット(10): 空腹感あっての満腹感
ということで,満腹というのは「空腹感はぜんぜんないけど,食べすぎでもない」というところ.つまり満腹には幅があるものだと思えばよい.「まだはいる」ということである.だからいつも「もうはいらん」まで食べれば食べすぎである.そんなことは考えればすぐにわかるはずだが,50才をすぎてからようやくわかったのであった.ところでこの感覚は食べる前にじゅうぶん空腹を感じていることが前提である.クルマの燃料計をみてガソリンが空と満タンのあいだでどのへんかわかるが,二輪車にはふつう燃料計はついていない.かわりに燃料タンクに原始的だがきわめて合理的なくふうがしてあり,タンクの底のさいごの部分はコックを「リザーブ」にきりかえないと使えないようになっている.通常の「メイン」でエンジンがとまったら,「もうすぐなくなるよ」ということである.人間の空腹・満腹感は二輪車にちかい.空っぽかいっぱい(それ以上ガソリンを注いだらあふれる)かのどちらかである.
2011
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なにも始めないダイエット(11): 食べすぎるのは本能か
歩きはじめてわかったことは,「はらがへる」「満腹感とは,空腹でも食べすぎでもない」ということである.あとから考えればこれはだいじなポイントであった.わたしのように1日のほとんどがデスクワークという場合にはエネルギーの消費がすくないので,よっぽど食事の間隔があかないかぎりほんとうの空腹感はない.空腹感がなければ満腹かどうかはわからない,つまり「食べすぎ」を検知するまで食べることになる.また,ほんとちょっとおなかがすいたときにおやつを食べてしまうと空腹ではなくなってしまうので,そのあとふつうに食事をとると満腹がわからない.こんなことを考えているとふしぎに思うことがひとつある.食事の量について,人は(すくなくともわたしは)学習しない.ということである.「これくらい食べたら,満腹をこえて食べすぎだった」ことを記憶していないように思えるのである.それなのに何となく「これでは足りないな」という感覚は鋭敏で,2つの選択肢があれば,いつも「足りない」ではなく「食べすぎ」を選んできたように思える.これは「いつ食べ物にありつけるかどうかわからないから,食べられるうちに食べておこう」という本能だと言われているが,ほんとうは,そういわれていることを学習していまい.「それが本能なので食べすぎはしかたない」と信じているだけなのかもしれない.つまり「いいわけ」である.社会で生きていくのに本能の命じるままというわけにはいくまい.食べすぎれば体重がふえて,いいことはひとつもない,ということはじゅうぶんに学習しているのに,本能だからとあきらめるのはどういうことだろうか.
2011
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なにも始めないダイエット(12): 食べすぎ事例・その1
しごとがら,懇親会や交流会といったパーティーに出ることが多い.まちがいなく立食式・たまに招待されることもあるが,たいていは会費を払っての参加である.政治家のパーティー(出たことはないし,会計もきいたこともないが)とはちがって,基本的にはワリカンつまり,かかった費用にみあう会費であるが,学生多いと傾斜配分で割高になる.ちゃんとした料理なら5,000円くらいが最低レベル.会場が高級ホテルだったりすると8,000円から10,000円.
2011
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なにも始めないダイエット(13): 食べすぎ事例・その2
出張が多いのでホテルで朝食をとることもある.ブッフェ形式と定食形式があり,どちらもごはんとみそ汁かパンとスープつまり和食と洋食のどちらかを選べる(もちろんブッフェなら両方も可).ねだんは,宿泊費といっしょに払うことが多いはっきりしないのが,入口の表示をみると,別払いで安くても1,000円,高級ホテルなら3,000円をこえることもある.ふだんの朝食はおそらく500円もかかっていないのだが,ホテルで食べるとずいぶんかかることになる.いきおい「しっかり食べてやろう」ということに.ブッフェの場合,たいていごはんとみそ汁の和食系を選ぶことが多い(多かった).ビジネスホテルだと経験的には和食系のほうが品数が多くておいしいからである.まともなホテルだと,ベーコンについても,しっとりとかりかりの2種類あったり,このみの具を入れてオムレツを焼いてくれたりするが,そんなホテルでは和食もそれなりのものがでる.和食系をえらんでも,眠気けざましと称して甘いジュースをまず1杯.そして,おかずをまたたくさん皿にもりつけてしまうのである.漬物とのりがないブッフェはなく,焼き魚なんかがあると,ついつい2膳めでお茶づけになったりする.食後,とくに朝食後にはふだんからコーヒーがかかせない.うちではペーパーフィルターで入れたコーヒーに牛乳を入れて飲んでいる.ブッフェだと,コーヒーに牛乳を入れて飲んでいる.ブッフェだと,コーヒーと牛乳がないことはまずないので,いつもどおり牛乳入りコーヒーを飲むのだが,コーヒーのコーナーの近くには,シロップにつかったフルーツミックスと白ヨーグルトがある.ふだんは食べないのにホテルだと食後のデザート,定食形式のときは,少し前まではかならず和定食だけを食べていた.たいていは食後のコーヒーが別料金でかつ豆からつくったコーヒーフレッシュなので,その点洋食の方がいいのだが,「トーストではちょっと足らんなぁ」という感じである.和定食のごはんとみそ汁はたいていおかわり自由で(渋谷エクセルホテル東急なら,メインの皿以外は小鉢でもぜんぶおかわり自由...それなりのねだんではあるが...)むかしはどちらもおかわりをしていた.
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2011
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ProfSoAndSo
なにも始めないダイエット(14): 食べすぎ事例・その3
何でおかわりするのか.それは,おかわりできるからである.おかわり自由.何とも魅力的なことば.学生のころ,「ごはんおかわり自由」の店で10杯食べたことがある.たくあん1切れで1杯という感じ.サークルの合宿で5人ほどで食いまくり,おひつでおかわりをつづけたら宿のごはんがなくなってしまいみかねたとなりのテーブルの家族づれが「わたしたちもう食べないのでどうぞ」といわれたことも.若いころは,ただただ「どこまで食べれるか」を知りたかったような気もする.冷静に考えると「おかわり自由」なら,するであろうおかわりも考えて価格設定をしているはずで,それなら「おかわりすれば徳」ではなく「おかわりしな方が損」と短絡するのが関西人の習性か.ずっと関西でくらしていると気づかないのだが,お好み焼定食,焼きそば定食とか,おでん定食というのは関東以北では「ふしぎな食べもの」らしい.焼きそばでごはんは食べられないというのである.中島らものエッセイにはやきめしをおかずにしてごはんを食べるというはなしがでてくるから,(トーストサンドというものもあり)焼きそば定食なんてのは,関西人にとって何の疑いもないものなのだが...(たこ焼はべつである,あれはおやつ).ただしいくら関西とはいっても家庭でお好み焼「定食」はでてこない(おでんはOK).おそらく「焼きそばだけでは足らん」からである.カップルでお好み焼き屋に行くとする.それぞれが好みのお好み焼きを注文し,「ほな,ふたりで焼きそばひとつたべようか」.つまりお好み焼き1枚では足りない(という微妙な大きさになっている)けど2枚なら多すぎる(あるいはお金がかかりすぎる).ひとりならわけあうこともできないので「定食にするわ(ごはんとみそ汁をつけて)ということになるのである.で,たいてい食べすぎる.〈めぐ丼: 先生、いつのまに(笑)〉
2011
6
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ProfSoAndSo
なにも始めないダイエット(15): もとをとる
食べすぎ事例集はまだまだつきないが,このあたりでどうして食べすぎるのかを考えてみる.会費制のパーティー.理由は明白である.「もとをとろうとする」習性である.関西では,「上下(うえした)えらい(たいへん)ちがうで」といういい方がある.これは同じ出費でも徳した(期待値以上)ときと損した(期待値以下)を比べている.つまり,期待どおりでは満足しない.逆にいえば期待値よりほんの少しでも多ければ「オーケー」.「お客さん,ないしょでっせ,これおまけにつけておきます」と売れのこりをつけてもらえば「もうかった」となるが,べつの人に「それやったら,わたしももろたで」ときいた瞬間に「なんやそれやったら喜んで損した」である.なので関西人をパーティーで満足させるのはかなりむずかしい.それはともかく,会費制パーティーで食べすぎるのは「会費を払った分は食べよう」ということである.けっこうおなかがいっぱいになっていても,屋台で「黒毛和牛のステーキ」があれば列にならぶし,「このソーセージはこのホテルでつくっているもので,ここ以外では食べられませんで」ときけば,皿に大盛りにする.というぐあい.
2011
6
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なにも始めないダイエット(16): 残すのはもったいない
大学生のころ,その街には合理的な経営でしられるタクシー会社があり,その運転手さんたちのために,24時間営業のブッフェがあった.だれもが利用できて,値段は400円(20年前当時)だったと思う.市街地をはずれたところのボーリング場の中にあったので,クルマがないと行けないが400円で食べ放題にひかれてなんどか食べた.店内は殺風景でともかく食べることだけに特化したつくりである.味がどうだったかまったくおぼえていない.ひとつはっきりとおぼえているのは,「食べ残したら倍額」.これは強烈な印象だった.もったいない,ブッフェでトレイにとった食べものをのこしたら,そりゃもったいない.なによりこどものころから「だされたものは食べきりなさい」としつけられた.著者の年代ならたいていそんなもの.いまはそんなはなしをしてもだれも信じないが,小学校くらいまでは食が細く,がりがりだった.あばら骨がはっきりみえていたので「洗濯板」とよばれていたくらいである.だされた食事を食べきるのはたいへんだった.というわけで,もったいないし,ちいさいころからそうしつけられているので,のこさず食べる,というのは何のためらいもなく,自信をもっていえる.しかし,よく考えてみると,これは満腹/空腹とは関係ない.頭でそう考えているだけである.からだをつくらないといけない幼少期か,たべてもたべても太らない少年/青年期ならともかく,中年になって,なに食べるか,どれだけ食べるかはじぶんできめたのに,あるいは,のこしたからといって,だれかにとがめられるというわけでもないのに,なんでその「きまり」をまもろうとするのか.それは頭で食べているからである.よくよく考えてみれば,だされたものをのこすのがもったいないのはそのとおりだが,じつはのこすほどの量がだされる状況になることがわかっていてそのままにしたか,あるいはのこすかもしれないと考えなかった,つまりもったいないことをつくりだしたことが問題なのである.
2011
6
11
ProfSoAndSo
なにも始めないダイエット(17): 頭でたべるな,腹にきけ
お好み焼1枚,きつねうどん1杯では足りないだろう.というのは頭で考えることである.著者もついこないだまではおひるパン2個でも足りない.マクドナルドでハンバーガーが1個じゃ食事じゃないよな,と思っていた.その感覚は経験にもとづくものなのか.いや,そんな実験はしていない.なんとなくそう思えていたのである.そう頭で食べていた.で,ためしてみた.ちかくのスーパーのなかにまぁまぁおいしいパン屋があり,週末に何種類かのパンをまとめ買いする.土曜,日曜,あまれば月曜日のあさにも食べられる.トースターでかるくあたためるときにかならずちぎって半分だけ入れる.4種類食べてもぜんぶで2個分.2種類なら1個分.なにを食べたかをつけている日記には「パン1個(パン屋の名前)」である.ゆっくりとかみながら食べれば,じゅうぶんに満腹,つまり空腹でも食べすぎでもない状態となる.マクドナルドの「てりやきマックバーガーセット」.てりやきマックにポテトとのみものがついているセットである.あるキャンペーンでこれがあたることがちょくちょくあって,ただで食べることができる.こんなものでは晩ごはんにはならない,というのは,ただそう思っているだけで,ちゃんと食べれば満腹になる.くどいようだが,ここでいう満腹とは空腹でも食べすぎでもない状態である.
2011
6
12
ProfSoAndSo
なにも始めないダイエット(18): ちゃんと食べる
満腹を感じるのがむずかしいこと,空腹感がなければ満腹かどうかがわからない.もうひとついえば,ちゃんと食べないと満腹感は味わえない.つまり食べることに集中することである.大学生になって下宿をすると,たいてい食事はひとりでとっていた.個食である.教員になってからは,会議か出張で外食も多い.50歳ちかくなって,あさのめざめが早くなり,ごそごそと起き出して,朝食をひとりでとることが多い.ひとりで食べると,早ぐいになるという.これは食べるのではなく一種の作業になっているからである.ひとりで外食すると,注文してからでてくるまでの時間がもたなくて,新聞や本を読むことがある.これは著者が下戸なため,「とりあえずビール」がないからでもある.なにかを読んだりしていると,たのんだ食べものができてきても,読みつづけてしまう.注意してみると,カップルや家族づれでも男性が新聞か雑誌を読みながら,食べているということが多い.さいきんでは携帯電話を操作するのは,ひとりでも複数の場合でも見られるが・・・著者が育った家庭では,食事中に新聞や雑誌をよむなんてことはありえなかったが,テレビはいつでもついていた.まぁそれなりの会話はあったからそれなりの意味はあったのか,しれないが,「テレビに気がとられて,どんな味だったかわからない」ことはあっても「食べることに夢中でテレビをみおとした記憶はないことを考えると,やはり食べることに集中していなかったと思う.空腹であればがつがつ食べて,結局食べすぎになるのではないか.すもうの力士は,あさごはんの前にきついけいこをして,そのあとで食べるからふとるんじゃないのか.ごもっとも.何日も断食の修行をしたり,たおれるまで運動すればそうなるだろう.しかし,歩くことによっておなかがすく,というレベルではそんな心配はない.上のような話は,じつは食べすぎを容認するためのいいわけにすぎない.空腹を感じられるようになってわかったことは,食べものはありがたい,ということであり,おいしいものはおいしく,まずいものはちゃんとまずく感じるということである.そして何よりだいじなのは,食べることに集中し,味わって食べ,そして満腹がわかるようになった.食べすぎなければいいだけである.
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